2020年01月17日

あれから25年

記憶から遠ざかりつある阪神大震災、25年経ちました。
今30歳ぐらいの人はあの地震のことを知らないのかと思うと、年月が経つのを思います。
いずれ、そういえばそんなものがあったなぁ、となるんでしょうか。

当時、大阪で震度4の地震を経験しました。
午前5時46分、揺れで目が覚めたのですが大したことないと思ったんです。

その頃、毎日放送ラジオの生番組を目指まし代わりにかけていたんです。
それが西宮市に住んでいる男性のパーソナリティが、スタジオに来れていないんですね。
まだ珍しかった携帯電話を掛けながら、生放送の番組に入ってくるんです。

「おむかえの何々さんのお宅が潰れています。」
「阪神高速が倒れています。」
「淀川の橋が渡れません。」などなど。

それを聞いて初めて、これは大変だと思いました。
余震もあり、京阪神の鉄道は全部止まっていました。
3連休明けの火曜日の朝、これから経済活動が始まろうとしている時、空は穏やかな冬晴れのいいお天気でした、無風快晴。
その時あれだけの惨事が起こっているとは、まだわかりませんでした。

職場から六甲山が見えたんです。
その横に煙が何本も上がっていました、それも真っすぐに。
「神戸、燃えているわ」と思いました。

あの地震以前は、危機管理体制やそういう意識がなく、東京の官邸では「関西で大きな地震があったらしいぞ」と他人事のように、時の村山内閣はのんきに構えていましたね。
政府の情報機関より、民法のテレビ各局が時々刻々と移り変わる神戸の様子を伝えていました。
なんと腰の重い政府だったことか。
カルロスゴーンに言われたように、いまだそう思います。
さっさとやらない、できない。

あの地震以来、日本列島は地震の周期に入っていると思います。
大きな地震が何回も起こっているではありませんか。
最たるものが東日本大震災。

南海トラフ地震や首都直下地震が起こると声高に叫ばれていますが、必ず絶対、それらの地震は起こります。
それが明日かもしれないし、10年後かもしれない。
地球にとっては一瞬の事でしょうから。
特に今、震源域で空いているのは南海沖から東南海沖です。
子供のころからこの地域は言われていますが、ここで東日本大震災クラスの地震が起これば、日本の経済は大打撃を受けるでしょう。

地震を予知することはできないんですから、日々備えておかねばなりませんよね。

先日、水を2リットルのペットボトルで12本、24リットルを購入しました。800円ぐらいで売っていました。
2年ぐらいは持つそうで、何かあったときにはこれで夫婦2人で1週間ぐらいは生き延びてやるぅ、と言う事ですわ。





posted by もえぎ野山荘 at 09:20| Comment(0) | 日記