2018年09月21日

高野山 奥の院

先ほど雨の高速道路を、無事に原村に帰ってまいりました。
信州は寒い、というのが感想です。
これからお越しのお客様には、新米を食していたたけるでしょう。

さてさて、今日も高野山のお話。
高野山で革新部分の奥の院です。弘法大師が祭られているところ。
弘法大師は今でも成仏しないで生きていらして、一日2回食事を持って行っているらしいです。
そこが奥の院。

その奥の院は、一の橋、中の橋、奥の院からなっていて、途中の中の橋に大きな駐車場があるため多くの人はそこから歩き出しますが、一の橋から参道が始まるため本当は一の橋から歩き出さないといけないのです。

雨の中、中の橋の駐車場に車を止め、一の橋から歩き出すべくそちらへ行きました。
そこから、お墓の大行列が始まります。
そのお墓や供養塔が見ものなんです。

戦国武将や現在の大企業の従業員供養塔など、ここを見ないと高野山を語るなかれ、という感じなのに、多くの人は中の橋から奥の院を目指すんですよねぇ。
覚えている限りでは、薩摩島津家、加賀前田家、武田信玄勝頼父子、石田三成、明智光秀、豊臣家や織田信長まであります。
佐賀鍋島藩、前田家2代当主前田利長は独立してありました。
どれもこれも苔むして荘厳なお墓でした。
ただ、手入れされていないお墓もありましたが。

どうしてこういう人たちは、高野山にお墓を持ちたかったのでしょう。
武田信玄勝頼父子は信仰深かったそうで、ぜひ高野山へ弔ってほしいと言っていたそうです。
織田信長に滅ぼされた武田父子や、その信長を殺めた明智光秀など、戦っていた武将が同じところに奉られているのは、あの世でどう思っているのか面白いですね。

あっちのお墓を見、こっちを見、で中の橋までやってきました。
結構強く降っていた雨のせいで、靴から靴下、ズボンのすそまでビチョビチョです。
長くなりましたので、奥の院の話は明日にしようと思います。

追伸、お墓の写真はほとんど撮りませんでした。どうしてか、なんか写っていたらどうするんですか。







posted by もえぎ野山荘 at 17:12| Comment(0) | 日記
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