2020年01月18日

あれから、のその後

メディアでは、昨日今日と阪神大震災の特集か組まれています。
それも明日日曜日の特番まででしょう。
週が明けると、まったく何事もなかったように話されることでしょう。

ということで風化させないために、語り継ぐために、95年1月20日金曜日のお話。

震災4日目、この頃になると被害の状況が分かってきました。
日本全国から救援物資が集まりだし、人も物も神戸に行こうとしだしました。

ところが職場の後輩が、まだ連絡のつかないヤツがいたんです。
生きているのか死んでいるのか、分かりません。
そこでバイクに乗る私、「ちょっとお前行って来て、安否を確認してこい」と言われ、水と弁当とその後輩の家の地図を持たされ、寒風吹きすさぶ1月の寒空のなかバイクで走り出したんです。
まだ20代、若かったですね、今だとちょっと考えますわ。

後輩の家は宝塚市、あまり土地勘はないほうです。
大阪と神戸を結ぶ幹線道に国道2号線と43号線があるのですが、そのどちらも交差点ごとに警察官が立ち、バイクですら真っすぐ行けないんです。

途中、川を渡るごとに景色が変わってきました。
始めは自動販売機が倒れているところから始まり、家にダメージが出だしちょっとショックでしたねぇ。
コンビニを覗くと、口に入るものはすべてなかったですし、まだ携帯電話の普及する前、公衆電話には必ず人が3、4人並んでいました。
でも、街は静かだったです。
あれだけの被害があったのに、平穏だったのを覚えています。

新幹線の橋脚が崩れ線路が宙ぶらりんのところをくぐり、後輩の家へ。
幸いにも家も後輩も無事だったですが、まわりでは崩れている家もありました。

近所の人々が用水路の水を汲みに来ているんです。
なにをしていると思いますか。
みなさん、トイレの水を汲みに来ているんです。
一番困っているのが水が出ないこと、だからトイレの水だと後輩は言っていました。
やはり避難所でもトイレの水が流せなくて、大変だったようです。

無事を確認したあと、ちょっと街を見てみようと宝塚市内を走りました。
神戸ばかりクローズアップされていますが、宝塚でも少なからず被害が出ていたんです。

阪神競馬場へ行ってみました。
2階建ての駐車場が倒壊していて競馬場内部は分かりませんでしたが、これ競馬できるんかと思いました。案の定、再開できたのはその年の12月、再開するまでほぼ1年かかったんです。

そういう思い出があります。
それ以降、お風呂の水は捨てないように、朝まで置いてあります。
なぜかしら先日の千曲川の堤防決壊も西日本の水害も台風もこういう地震も、夜寝ているときに起きるじゃないですか。一番困るのがトイレの水、その確保のために。

明日は、神戸へ行ったときのお話。







posted by もえぎ野山荘 at 10:45| Comment(0) | 日記
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