2020年03月11日

9年前のあの日

新型コロナウイルスの影響で追悼式典が中止になるなど、その記憶の継承がおろそかになりつつある3月11日。
今朝のメディアでは新型コロナの話題ばかりで、あまり震災のことは触れられていないように思いました。

あの日、皆さんどうしていましたか。
僕は、富士見パノラマスキー場の下りのゴンドラの中に閉じ込められていました。
お客様をご案内し、入笠山へスノーシューツアーに行った帰りでした。
10分か15分ぐらいで動きだしたのですが、始め地震だとは気づかず風で止まったと思ったんです。
しばらくたってゴンドラ内にある無線を開けて、そこで初めて大きな地震があったと分かった次第でした。

下りの駅に到着すると、係員のおばさんが「すいません、ゴンドラ止まりまして」と言うもので「震度いくつですか」と聞き返すと「4か5」というではありませんか。
これは大きいと思って車へ戻ってラジオを付けると、宮城県北部震度7。

その後、同年10月に津波の跡を見に三陸へ行きました。
この災害は歴史に残る災害だから見に行っておかないと、と思ったんです。
陸前高田から気仙沼、南三陸町を通り石巻へと出て、仙台で1泊しました。

壊滅した陸前高田と南三陸町、気仙沼では陸に上がった例の船の真横まで行きました。
ところが仙台は全く他人事で、何事もなかったように普通に経済活動をしていたのが思い起こされます。
当時小学6年生だった娘、全滅した陸前高田の風景を見て「すごい」と一言言ったのを聞いて、ここまで見に連れてきたかいがあったと思いました。
その数年後、南三陸町の町長がウチの宿へ泊まられたのは何かの縁かもしれません。

あれだけの被害があったのにも関わらず、月日は人々の記憶を消し去り知らない子供たちも増えてきています。
風化ということは避けて通れず、人によっては復興の温度差が生じていますが、こういう地震があったことを継承していかねばなりません。

復興復興と言っているけれど、ほんとに復興しているのか、これから始まるところもあるのかもしれませんし、まだまだ頭の隅にはおいておかないと、忘れてはならないと思います。


posted by もえぎ野山荘 at 10:39| Comment(0) | 日記
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